「ハチミツとクローバー」(羽海野チカ)は、「登場人物全員が片思い」という設定がウリのコミックス。舞台は美大で、天才や奇人が数多く登場し、恋模様も切ないながらにコミカルに展開。そこが受けてベストセラーに。アニメ化されたり映画化されたり、つい最近もドラマ化されたりなんかしている。
まあでも、人生の折り返し地点を通過しつつある私にとって、錯綜する切ない恋模様とかはほんとどーでもいい。
しかし。
おそらくもうひとつのテーマである(と私が勝手に決めつけている)「自分の可能性(才能)や限界とどう対峙するか」という葛藤については、自分がこのところ無理やり封印していたある種の迷いが揺り起こされてしまった。
たとえば、7巻で、優等生風の小学生に絵を教えていたヒロインの「はぐ」が、
「絵が固い…?かな」と優等生君に指摘して、逆ギレされる場面。
「子供らしくない絵って
言われるのもわかるよ……
そんなん当たり前だ
だってオレがもう
子供でいるの嫌なんだもん
賞が欲しくて それ目当てで
頑張るって事自体
も ぜんっぜん『美しくない』って
わかってるよ!」
と叫ばれて。そのときちょうど賞を狙うことに迷いが出てスランプに陥っていたはぐちゃん、
思いっきり自分の痛いところをつかれてのモノローグ。
===================
「辿りつきたい場所」をもった時、
無私の心で描く力を失った――
「好きなものを」「楽しんで」という言葉は美しい
――でも その 何と むずかしい事か………
===================
そう、そーなのよ。そのエピソードで優等生君が
「『無邪気』ってのは『無意識』ってのと
結びついてるわけだから
『意識』しちまった時点で
もう オレには手に入れられない―――――!?
(イベントアイテムを取り損ねて進んじまった…みたいな!?)」
と自覚してしまったとおり、いったん気づいちゃったら、
もうもとの自分には戻れないんだよね……。
そういえば、「魔女の宅急便」にもそんな場面があったな。
大人、というかプロになる時点で、もう
「神が降りてくるのを待つ」
という苦しくも幸せな時間とは、
サヨナラなんだよね〜。
でも、これは凡人の話で、アマデウス(=神に愛されし者)だったりすると、
自分の意思にかかわりなく神が離れてくれなくて、また違った意味の苦悩があるのかもしれん。
さて、明らかに凡才である自分が、なぜかこの「ハチミツとクローバー」では、フツーの人である竹本や修先生ではなく、あふれる才能をもてあます森田やはぐに、映画「アマデウス」ではサリエリではなくモーツアルトのほうに感情移入して、悲しくなってしまうのか。
そこんとこが自分でもよくわからない。単なる天才好きってだけのことかな。宿題だな。
2008年04月21日
「ハチミツとクローバー」
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/94075982
この記事へのトラックバック
http://blog.seesaa.jp/tb/94075982
この記事へのトラックバック




この間お話した、とあるゲームに嵌っているのもそのため。
まあこのテーマの「天才」とはあまり関係なさそうなのでここまでにしておきますが。
PUZZILAさんにとっては、クイズもやはり「他者の評価が介在せず、勝ち負けがはっきりしているもの」なのでしょうか…。
運が介在するゲーム(テレビゲームなどのことではございません>ALL)も、やはりヒキの強さとか、かけひきのうまさ、プレイの美しさが抜群な方っているように思えます(想像ですが)。
どうしても私はそういう「神が降りてくる瞬間」(錯覚かもしれませんが)に魅せられてしまいます。
スケートでも、卓越した技術でポイントをかっちり稼ぐ天才少女浅田真央ちゃんも好きですが、時々神がかり状態になる村主章枝に心ひかれてしまいますね〜。村主さんは天才型でもないし、いまはアスリートとしては下り坂ですけど。