留守番電話に、編集者さまから「もう請求書、送ってもらえましたよね?」とメッセージが入っていた。
当該請求書については、たぶん3回目の催促になる。
す、すみません……(泣)。
請求書を送らなくてはギャラは振り込まれず、困るのは自分。
それだけならいいが(いやよくないが)、そのことを気にして編集者さまは月々の振込日が近づいて来るたびに「請求書をちょうだいね」と注意喚起してくださるわけで、その手間が申し訳ない。
1回目、2回目は純粋に忘れていた。今回は……、今回は、請求書をおこさなくてはならないこと自体は覚えていたんだけど、請求書も印鑑も封筒も、資料に埋もれて見つからなくて書けなかったの(泣)。
領収書類もぐじゃぐじゃで、どの領収書がどの仕事のものなんだかさっぱり。
ここ3か月くらい資料を整理することができず、デスクまわりには紙類が地層状に積み重なっており、仕事部屋は絶望的なブラックホール状態なのれす。この状態で3か月仕事をしていた自分って、ある意味スゴイ。
とはいえ、ここまでくると頭の中も空間と同様に混沌としているわけで。
私生活でも、町内会の会合をど忘れして「あなた班長よね?」とたしなめられたり、子どものプール日を忘れてかんかん照りの日に見学させたり、包丁で指先をざっくり切ったりで、明らかに実害が生じはじめている。
仕事に支障が出る前に、空間と頭をなんとか立て直す。
これから発掘作業に入るぜ。シャー!
2008年07月16日
片付けられないライター
2008年07月03日
ライターの通貨は「ページ分」
オタクはものの値段を表す時、「1ガンプラ、2ガンプラ」と表現するそうです。
超高額になると「ジェット機○機分」とか、「日本の国家予算1年分」とかいいそうですね。
さて、ライターである私は、「(雑誌)○ページ分」で勘定します。
デパートでちょっとお高い服を見たときとか、子供の塾の講習料とか見た時に、
「うーむ、○ページ分か……」と換算して、払うか払わないか判断するわけですな。
若いころの通貨は「飲み会○回分」だったので、ずいぶん成長したものです。
立派な労働者です。
先日、私は、何十ページ分もの国民健康保険料と住民税を、泣く泣く払ってきました。
何ページ分か換算したところで、判断の余地なく払わなくてはならないのに、換算してしまいます。
そんで、「ああ、あの月のあの仕事のギャラで払ってんだな」とか考えて、
しばし遠い目になってしまいました……。
なんでもかんでもページ数に換算するのはひかえねば。
2008年07月01日
編集者とフリーランスの関係
この約10年、サラリーマン編集者とフリーの関係が変わってきてるよなあ……
とか思っていたら。
タイムリー!?なことに、小学館と漫画家が熱いバトルをしているというニュースが!
「金色のガッシュ!!」の雷句誠先生が、生原稿を版元に紛失され、版元側の対応に
腹立てたのを機に訴訟にふみきり、訴状のなかで、それまでの小学館の編集者との
確執を一気にぶちまけたという……。
↓くわしくはココに
http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html
さらにさらに、それに共感した、新條まゆ先生(=小学館「少女コミック」でHまんがを
描き名をはせたお方→その後小学館と決別)も、ブログで小学館の編集者の
しどい対応を告発していらっしゃいます。
↓くわしくはココに
http://blog.mayutan.com/archives/51397618.html
このニュース、他社の編集者にとっても衝撃的な内容だったらしく、
とある編集者は、
「いや〜、ブログ読みましたけど、シビれるセリフ満載ですよね〜。
……『僕は編集部の中でも怖い編集といわれていてね』とか
『僕は冠茂と仲がよくってね』とか〜。
(まゆ先生の画が乱れたときに↓)
『水は低い方へ流れるって話、知ってる?わたしのように水瓶に
水をたくさん貯めてるような人間が、あんたみたいなダメな人間の近くにいると
こっちの水瓶が減るのよ!』とか〜。
ほんとマンガみたいですね〜」
と興奮気味。パソコンの壁紙もガッシュにしたそうな(マジ?)
私的には、まゆ先生が編集者に言われた
「他社で描くなら、今までの出版物はすべて絶版」とか、
H漫画以外に取り組みたいと訴えて「甘ったれるんじゃない!」と言われたとか、
先生が土日にネームのファックスを送った時に、
「編集者が安い給料で仕事してるのは土日は何があっても休めるという
保証があるからだ!あんたたちは高い年収もらってるんだから
寝ないで仕事しようが遊ぶ時間がなかろうがかまわないけど、
こっちの休みまで奪うな!」と言われた、なんてくだりにも
シビれてしまいましたね。てかまゆ先生、H漫画は描きたくなかったんですか。
それにしても。
スゲー。実用情報ライターは、ここまでシビアなやりとりはしたことありません。
あ、でも6月は痛いところを突かれたセリフはあったな。
「(コンテ描きの打ち合わせで)「ほんと編集脳がないね〜」
「(リサーチ作業をさせられて)「打率低いっすね〜」
コンテ描きもリサーチ作業も苦手ですと自己申告していて、自虐ネタでも
あるんだが、真顔で言われるとやはり堪える。だからライターやってんのよさ。
本題からははずれるが、
いま私が気になっているのは、問題の「週刊サンデー」で
「犬夜叉」最終話を迎えた高橋留美子先生です。
最終話のに、表紙に告知はもちろんタイトルさえ載ってないなんて……。
高橋先生、まさか先生もサンデーから卒業?
2008年06月02日
卒園アルバムと個人情報保護法
卒対委員の皆さんは、仕事を持ちながらもたいへんに熱心で、「アルバムやDVDには、園の日ごろの生活の様子や、行事の様子を盛り込みたいよね!」とはりきっている。編集作業も、業者ではなく、自分たちでやることになった(予算が少ないもんで)。
そんな中、予想外に難航しているのが、保育園との交渉。「個人情報保護の観点から」という名目のもと、簡単には園の様子を写した写真や映像を提供してもらえそうにないんである(写っている園児保護者の同意が必要!などなど)。じゃあ自分たちで写すから!というと、「いやそれは、園児の日常生活のさまたげになるからやめてくれ」とのことである。
そういえば、このふたつの理由から、園での日常を写したスナップ写真の販売もなくなってしまった。(3年くらい前まではあったんだけど…)
そこで調べてみました! 卒園アルバムと個人情報保護法の関係。
興味のある方はどうぞ。
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2008年05月21日
仕事以外で充実しすぎ
仕事面の忙しさは例年通りだが、今年度は私生活面が活気づく星回りのようで、
・町内会の班長
・保育園の卒対委員(書記&記念DVD担当)
に任命された。
そういうお役目は極力遠慮していたんだが、順番とか人間関係とかいろいろあって、「今年やっちゃえ!」と引き受けてしまったのである。純粋な責任感というよりは、「子供が肩身の狭い思いをしないように」という変な配慮がもとだったりするわけだが。
いざやってみるとやはり大変なわけで、でも大変だからこそ「逃げ回ってばかりもいられないんだろうな。できることを少しでもやらなきゃ」と思う。
学生の頃は、そういう役目を引き受けている人がいることにすら気がつかなくて、のほほんと生きていた。地域や集団のなかで浮いていて平気だった。いまは「子供が(以下略)」という思いから、気配りアンテナをはりまくっている。
んでも、自分なりに気配りアンテナをはっているつもりでも、結局お母さん集団の中で浮きまくってしまっている。知り合いの編集者にちょこっとぐちったら、「もーさー、煙草プカーッてふかしながらギョーカイ人っぽく『アタシそういうのわかんないんでえ』なんていうキャラ立てちゃえば?」というアドバイスをいただいた。
だからというわけではないが、そろそろ猫をかぶるのをやめ、最低限やるべきことをやればいいじゃんと開き直るつもりであーる。
こんな状況の中、猫を飼い始めようとか考えるのは無謀すぎるだろうか?
2008年04月30日
パソコンと仕事部屋を整理
だめだー、脳がピクリともしない。
しょうがないので、連休明けに少しでも仕事がはかどるよう、パソコンの中身と仕事部屋を整理することにする。
まずはパソコン。ドキュメントフォルダのなかのどーでもいい資料とか、メールボックスにてんこもりになっているふるいメールを、差し支えのない範囲で捨てていく。
それから、ネットの「お気に入り」。いろんなサイトをブックマークしておいたんだけど、つい忙しいときにチラ見しては脱線……の元凶だったので、読み物系のサイトは、作業にさしつかえのない範囲ではずしていく。もろもろの掲示板とか個人のブログとか。
そして、インターネットを立ち上げたときに、最初にアクセスするの「ホーム」もニフティとかヤフーじゃなくてグーグルに変える。なんか調べようと思ってIE立ち上げ→ポータルサイトのニュースに釘づけ→関連情報を検索、興味が広がってどんどん深入り……などというおばかな展開を防ぐためである。
子供に「勉強机にマンガとか攻略本を置くなあああああ!!」と叱っている内容がそのまま自分にもあてはまるのでした。なは。
それにしても、「お気に入り」からサイトをはずすときも、「中身を確認してから…」なんてついクリックしてしまい、また読みふけってしまい。試験前の学生そのものの失敗を繰り返しているのであった。
ああ、それにしてもファイルが減らない。
部屋も片付かない……。
2008年04月21日
「ハチミツとクローバー」
「ハチミツとクローバー」(羽海野チカ)は、「登場人物全員が片思い」という設定がウリのコミックス。舞台は美大で、天才や奇人が数多く登場し、恋模様も切ないながらにコミカルに展開。そこが受けてベストセラーに。アニメ化されたり映画化されたり、つい最近もドラマ化されたりなんかしている。
まあでも、人生の折り返し地点を通過しつつある私にとって、錯綜する切ない恋模様とかはほんとどーでもいい。
しかし。
おそらくもうひとつのテーマである(と私が勝手に決めつけている)「自分の可能性(才能)や限界とどう対峙するか」という葛藤については、自分がこのところ無理やり封印していたある種の迷いが揺り起こされてしまった。
たとえば、7巻で、優等生風の小学生に絵を教えていたヒロインの「はぐ」が、
「絵が固い…?かな」と優等生君に指摘して、逆ギレされる場面。
「子供らしくない絵って
言われるのもわかるよ……
そんなん当たり前だ
だってオレがもう
子供でいるの嫌なんだもん
賞が欲しくて それ目当てで
頑張るって事自体
も ぜんっぜん『美しくない』って
わかってるよ!」
と叫ばれて。そのときちょうど賞を狙うことに迷いが出てスランプに陥っていたはぐちゃん、
思いっきり自分の痛いところをつかれてのモノローグ。
===================
「辿りつきたい場所」をもった時、
無私の心で描く力を失った――
「好きなものを」「楽しんで」という言葉は美しい
――でも その 何と むずかしい事か………
===================
そう、そーなのよ。そのエピソードで優等生君が
「『無邪気』ってのは『無意識』ってのと
結びついてるわけだから
『意識』しちまった時点で
もう オレには手に入れられない―――――!?
(イベントアイテムを取り損ねて進んじまった…みたいな!?)」
と自覚してしまったとおり、いったん気づいちゃったら、
もうもとの自分には戻れないんだよね……。
そういえば、「魔女の宅急便」にもそんな場面があったな。
大人、というかプロになる時点で、もう
「神が降りてくるのを待つ」
という苦しくも幸せな時間とは、
サヨナラなんだよね〜。
でも、これは凡人の話で、アマデウス(=神に愛されし者)だったりすると、
自分の意思にかかわりなく神が離れてくれなくて、また違った意味の苦悩があるのかもしれん。
さて、明らかに凡才である自分が、なぜかこの「ハチミツとクローバー」では、フツーの人である竹本や修先生ではなく、あふれる才能をもてあます森田やはぐに、映画「アマデウス」ではサリエリではなくモーツアルトのほうに感情移入して、悲しくなってしまうのか。
そこんとこが自分でもよくわからない。単なる天才好きってだけのことかな。宿題だな。
2008年04月02日
心を新たに
3月の最終週は、自分の仕事上の問題点がすべて露呈する魔の星回りだったらしい。精神的にかなりやられてしまった。
フリーには叱ってくれる上司がいない。取引先は叱ってくれない。黙って縁を切られるのみ。
だから、トラブルが起これば自分なりに原因を究明し、改めるべきは改めないといかんのである。
いろいろ反省した末、新年度ということで自分の目標をあげてみた。
・相談、問い合わせは積極的に。
・優先順位を意識する。
・脳内で「それはNOだろ」と思ったら、相手に「NO」と伝える。
・パソを閉じ街に出よう。
まあ年度末はいろいろあったけど、今日はとある企画の監修者さまから原稿に関しておほめの言葉をいただいた。新年度になったことだし、これを機に潮目が変わるといい。
2008年03月25日
30時間前の着信
ためしにググってみたら、某雑誌編集部(いままでお付き合いなし)の番号じゃーあーりませんか!!!!!
YEAH! 仕事の依頼ですか?
だがしかし。地下鉄乗車中にかかってきたらしく、留守録に残っていた女性の声は、とぎれとぎれで。OH NO! 名前が聞き取れなーい!
どーすんのこれ? 恥をしのんで「そちらの編集部から女性の声で着信があったようですが…」とか問い合わせるべき?
すでに着信があってから24時間以上経過。今は午後10時。
おとといの夜から今日の昼にかけて取材がたてこみ、午後は原稿の直しが入ってて、ついケータイのチェックをおこたってしまってたのでした。気づくの遅すぎだよ→自分!
うーーーー。とりあえず、寝てから考えよ…。
2008年03月19日
字を覚えるということ
字を覚えると、文字情報に触れることで世界が広がる一方で、ある種の能力がしぼんでしまうような気がする。
うちの5歳児がひらがなをマスターする前は、絵本を渡しておくと、絵を見ながら、覚えている内容を朗々と口述していた。口承の民話みたいな感じだ。
時々、話が迷子になると、自分で勝手に話を作っていた。ディズニー絵本の「美女と野獣」だと、「べるは、どれすにきがえておおあばれ!」とか。語彙も少ないぶん、かえって斬新な表現を使ったり。
字を覚えてからは、そういう愉快な創作や表現をあまりしなくなってしまった。必死で文字を追う姿に成長を感じる一方で、母はちょっとさみしい。「字なんか今は覚えなくていいのに〜」という保育園の先生の気持ちも、わからんでもない。が、覚えちゃったもんはしょうがない。
文字をもたない民族は、どんなふうに脳を使って、情報を蓄積しているんだろうか。そういう民族の言葉と、書き言葉を活用する民族の言葉とでは、なにか役割に違いがあったりするんだろうか。小さい頃から活字中毒であり、耳から情報を得るのが苦手な私にはちょっと想像がつかない。
私は、目の前にあるものを、書き言葉でカテゴライズして頭の引き出しにしまってしまうが、そのことで、かえって本質を取り逃がしてしまっていることがあるような気がする。



